BLOGTIMES
2010/07/17

置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品である。 Vol.7

  就活 
このエントリーをはてなブックマークに追加

置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品である。〈Vol.7〉 (幻冬舎文庫)

村上龍のエッセイを読んでいてちょっとドキッとする一節があったのでメモ。

変人やドロップアウト言われつつも、好きなことをやって来て、気が付いたら自分と同じようなことをやっている人がいなくて、ちょっと寂しさみたいなものを感じている人にとっては、いろいろ勇気付けられる内容だと思います。ただちょっと表現が厳しいので、就活中で結果が思わしくない学生さんとか、失業中の人とか、自身を失うようなことが直近にあった人が読むと余計に蹴落とされたような感覚を覚えるかもしれません。

日本、日本人という主語の限界*1

(略)だれにでもチャンスがある、というのは嘘でも幻想でもない。だが、自分はどういう人生を望むか、という戦略がない人間には最初からチャンスがない。自分が何をしたいかが分かっているからその目標に従って科学的な努力が可能になる。戦略を行使するためのモチベーションの対象を持っているか持っていないかですべてが決まってしまう。そして、モチベーションの対象を持っている人は、全体の数パーセントだろう、彼らは自分の人生を選択する。自分の人生を選択するために、自分の資源をチェックし、モチベーションの対象に集中して投資するのだ。この世の中には、それができる人と、できない人がいるだけで、それ以外にはいない。きっかけも秘訣も苦労も関係がない。(略)二十八歳までに自分のモチベーションの対象を探せないと、人生を選び取ることはむずかしくなる。簡単に言うと、他人にただこき使われるだけ、ということになってしまうのだ。

最近、成功した人の軌跡を聞いても、絶対に真似はできないから、もうちょっと上位概念で考えないといけないな、とは思っていましたが、このあたりの表現が本当に上手いなと。秘訣も苦労も関係がないと言い切っちゃってるし。ここでは人の言いなりにならないほうが良い、自己実現のチャンスが掴めたほうが良いという目線からなので、「他人にただこき使われるだけ」というちょっととげのある言い回しになってますが、これについては自分はそこまで否定してないし、その方が失敗も成功も人のせいにできて楽だというのはあるでしょう。そういう風に生きている人が一瞬うらやましいと思うことはあります。

ただこの後で、勢い余って競争の無い社会の例として技術者、研究者が挙げられているのはちょっと残念な感じというか、これも愛嬌なんでしょうか。でも、このあたりは13歳のハローワークなんかと同じ感じもするので、村上龍にとってはエンジニアとか科学者はあまり関心の対象になるような職業ではないのかもしれません。

  • *1: 村上龍, "置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品である。 Vol.7," 幻冬舎文庫, 幻冬舎, p.27, 2007.

トラックバックについて
Trackback URL:
お気軽にどうぞ。トラックバック前にポリシーをお読みください。[policy]
このエントリへのTrackbackにはこのURLが必要です→https://blog.cles.jp/item/3649
Trackbacks
このエントリにトラックバックはありません
Comments
愛のあるツッコミをお気軽にどうぞ。[policy]
古いエントリについてはコメント制御しているため、即時に反映されないことがあります。
コメントはありません
Comments Form

コメントは承認後の表示となります。
OpenIDでログインすると、即時に公開されます。

OpenID を使ってログインすることができます。

Identity URL: Yahoo! JAPAN IDでログイン